【1900年代】美容と化粧品で日本の歴史を紐解く

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ども!美容研究家忍者みやゆうです!

1900年(明治33)〜1909(明治42)年の10年間で起こった主な出来事と美容化粧品情報を比べることによって日本の歴史を紐解くことが出来るのではないか?

美容研究研究家忍者が美容の歴史に迫るっ!!

【1900年代】美容と化粧品で日本の歴史を紐解く

nihon1900

1900年代の歴史的事件、美容化粧品情報からなる美容研究家忍者みやゆう。の独り言。

信じるか信じないかはあなた次第です。

1900年代に日本で起こった主な出来事

1900年代に日本で起こった主な出来事をウィキペディアより参照していきます。

治安警察法(1900年)

治安警察法(ちあんけいさつほう、明治33年3月10日法律第36号)は、日清戦争後に高まりを見せ始め、先鋭化しつつあった労働運動を取り締まる為に、第二次山県有朋内閣時に制定された法律である。

それまで自由民権運動を念頭に置いて政治活動の規制を主な目的としていた集会及政社法に、労働運動の規制という新たな機能を付加した上で継承発展させる形で制定された。敗戦直後の1945年11月に廃止された。

日露戦争(1904年)

日露戦争(にちろせんそう、ロシア語: Русско-японская войнаルースカ・イポーンスカヤ・ヴァイナー英語: Russo-Japanese War1904年明治37年)2月8日1905年(明治38年)9月5日)は、大日本帝国ロシア帝国[7]との間で朝鮮半島とロシア主権下の満洲南部と、日本海を主戦場として発生した戦争である。両国はアメリカ合衆国の仲介の下で終戦交渉に臨み、1905年9月5日に締結されたポーツマス条約により講和した。

講和の結果、ロシア領の南樺太は日本領となり樺太庁が設置され、ロシアの租借地があった関東州については日本が租借権を得て、関東都督府が設置された。

夏目漱石「我輩は猫である」(1905年)

『吾輩は猫である』(わがはいはねこである)は、夏目漱石の長編小説であり、処女小説である。1905年1月、『ホトトギス』に発表され、好評を博したため、翌1906年8月まで継続した。

1900年代の美容、化粧品情報

あらゆるサイトや書籍からかき集めた1900年代の日本の美容、化粧品情報を紹介していきます。(随時更新)

伊藤胡蝶園が「御園白粉」を発売(1904年)

伊東胡蝶園(いとうこちょうえん、1904年 創業 – 1997年 清算)は、かつて存在した日本の化粧品メーカーである。「御園白粉」で知られ、出版社「玄文社」を起こして出版事業も行った。第二次世界大戦後の「パピリオ」の前身である。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BC%8A%E6%9D%B1%E8%83%A1%E8%9D%B6%E5%9C%92

みやゆう。の独り言

1904年〜1905年にかけて日露戦争が勃発しているわけですが、1904年に伊藤胡蝶園が「御園白粉」を発売しています。

どうやって発売、宣伝したんだろ?

この御園白粉、、、今風に言うとフェイスパウダー、フィニッシングパウダーですね。

伊藤胡蝶園が作ったこの白粉は鉛が入っていないのが特長です(日本初)!!

それだけにのちの大正天皇に献上しています。

今では考えられないですが御園白粉が発売されるまでは肌を綺麗に彩るために鉛を直接塗ってたわけですね。1900年から長谷部仲彦と言う人が研究開発していました。

ちなみに長谷部さんはフランスで鉱山学を学んでいた化学者だそうです。

「おいおい!世の女性たち鉛を直で顔に塗っちゃってるよ!やべえじゃん!」

そう思い御園白粉を発売したかはどうかはわかりませんが、メイクアイテム=危険ではダメと言う定義を作ったのは長谷部さんなのかもしれません。

今から100年以上前の話ですが安全が重要視されるのは日本の良さですね。

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